失敗学から始めるキャリア

キャリアにおける「働く意味」再定義の失敗構造:経験豊富なビジネスパーソンが方向性を見失う科学的分析

Tags: キャリアプランニング, 失敗学, 自己分析, 内発的動機, ミドル・シニア

はじめに

長年にわたりキャリアを積み重ねてきたビジネスパーソンの中には、ふとした瞬間に「何のために働いているのか」という問いに直面し、キャリアの方向性を見失ってしまう方がいらっしゃいます。特に40代以降、経験や役職は増えたものの、かつて抱いていた情熱や目的意識が薄れ、「このままで良いのだろうか」という漠然とした不安を抱えるケースが見られます。これは、単なる一時的な感情の揺れではなく、キャリアの進化過程において発生しやすい構造的な問題であり、「働く意味」の再定義に失敗することが、その後のキャリア停滞や転職におけるミスマッチの原因となり得ます。

本稿では、経験豊富なビジネスパーソンがなぜ「働く意味」を見失い、その再定義に失敗してしまうのかについて、失敗学の視点から構造的に分析します。そして、この失敗構造を回避し、持続可能なキャリアを再構築するための科学的なアプローチについて考察を進めます。

経験豊富なビジネスパーソンが「働く意味」を見失う構造的要因

キャリアの初期段階においては、「昇進」「給与アップ」「特定のスキルの習得」といった、比較的明確で達成可能な目標が「働く意味」の重要な部分を占めることがあります。しかし、経験を重ね、これらの目標を達成したり、あるいは目標そのものが陳腐化したりするにつれて、新たな「働く意味」を見出す必要が生じます。ここで見失いが生じる背景には、いくつかの構造的な要因が考えられます。

過去の成功体験と外部評価への過度な依存

長年のキャリアで得た成功体験は貴重な資産ですが、時にそれが「働く意味」を見失う要因ともなります。過去の成功は、多くの場合、組織内での評価、特定の市場環境における成果、特定の役割における貢献など、外部からの承認や評価に基づいています。キャリアが成熟するにつれて、これらの外部評価に自己の価値や「働く意味」を過度に依存する傾向が強まることがあります。

しかし、市場や組織は絶えず変化しており、過去に評価されたスキルや貢献の形が、現在そして将来も同様に価値を持つとは限りません。過去の成功に囚われ、外部からの承認のみを追求し続けると、自己の内面から湧き上がる真の動機や、変化した環境で求められる新たな貢献の形を見出すことが困難になります。これは、自己の「内発的動機」よりも「外発的動機」が優位になることで、「何のために」という問いが曖昧になる失敗構造です。

役割・ポジションの変化による過去の成功軸の陳腐化

キャリアアップに伴い、担当する業務内容や役割は変化します。かつてはプレイヤーとして直接的な成果を出すことに「働く意味」を見出していた方が、マネージャーやリーダーとなり、他者の育成や組織全体の成果に貢献することが主な役割となることがあります。このような変化は、過去の成功の軸、すなわち「働く意味」の根拠としていた要素を陳腐化させる可能性があります。

新しい役割における「働く意味」を再定義できないまま進むと、過去の成功体験にしがみついたり、新しい役割への適応が遅れたりします。特に、マネジメント業務よりもプレイヤーとしての業務に強い内発的動機を持っていた場合、役割の変化は「働く意味」の喪失に直結しやすい構造と言えます。

キャリアの長さによる内発的動機の変化・喪失

長年同じ分野や組織で働くことは、知識や経験の蓄積につながりますが、一方で業務に対する新鮮さや知的な好奇心が薄れ、内発的動機が自然と減衰していく可能性があります。特に、一定のルーティンワークや既知の課題解決が中心となる場合、新たな挑戦や学びの機会が少なくなり、「働くこと自体の楽しさ」や「成長実感」といった内発的動機が失われやすくなります。

これは、脳が新しい刺激や学びに対して活性化する性質を持つことを踏まえると、既知の領域での活動が長引くほど、内発的な報酬系が働きにくくなる構造とも解釈できます。内発的動機の喪失は、「何のために働くのか」という問いに対する答えを見つけにくくさせます。

社会・市場の変化による価値観の変容への遅れ

AIの進化、リモートワークの普及、ジョブ型雇用への移行、サステナビリティへの意識向上など、社会や市場の価値観は急速に変化しています。こうした変化は、個人に求められるスキルや働き方、「仕事に求めるもの」にも影響を与えます。

経験豊富なビジネスパーソンは、過去の成功体験に基づいた価値観や働き方に最適化されていることが多く、社会や市場の新しい価値観への適応が遅れることがあります。例えば、過去には「終身雇用」や「年功序列」といった安定性が「働く意味」の一部であったかもしれませんが、現代においては「市場価値」「専門性」「柔軟な働き方」といった要素がより重視されるようになっています。この価値観のズレを認識し、自身の「働く意味」を新しい時代に合わせてアップデートできない場合、キャリアの方向性を見失うことになります。

「働く意味」再定義に失敗する科学的構造

これらの要因が複合的に作用し、「働く意味」の再定義が困難になる背景には、いくつかの認知バイアスや心理的メカニズムが働いています。

自己認識と現実の乖離バイアス

自己認識、特に自身の強みや市場価値、そして「本当にやりたいこと」に対する認識が、現実や外部からの評価と乖離している状態です。長年の経験は自己への過信を生むことがあり、過去の成功体験に基づいた「自分はこれができる」「これは評価されるはずだ」という思い込みが強固になります。市場が求める価値や、自己の内面的な変化を正確に把握できないため、現実離れした「働く意味」を追求しようとしたり、逆に自身の可能性を過小評価してしまったりします。この乖離が、建設的な再定義を阻害します。

過去への固執バイアス(損失回避バイアス)

人は現状維持を好み、変化を避ける傾向があります(現状維持バイアス)。特にキャリアにおいては、長年積み上げてきた経験や地位、関係性といった「既に持っているもの」を失うことへの恐れが強く働きます(損失回避バイアス)。このバイアスは、新しい「働く意味」を模索し、未知の領域に踏み出すことを躊躇させます。過去の成功体験や慣れ親しんだ環境に固執し、「これまでのやり方」や「これまでの自分」に最適化された「働く意味」にしがみつこうとすることで、変化した状況に合わない古い「働く意味」を再定義なしに引きずってしまいます。

内発的動機と外発的動機のバランス崩壊

前述したように、外部評価への依存や、給与・役職といった外発的動機が優位になりすぎると、自己の内面から湧き上がる「好き」「面白い」「貢献したい」といった内発的動機が弱まります。本来、「働く意味」は内発的動機と外発的動機のバランスの上に成り立ちますが、このバランスが崩れると、外発的動機だけでは持続的な「働く意味」を見出しにくくなります。特に、一定の経済的安定や社会的地位を得たミドル・シニア層においては、外発的動機だけでは満たされない領域が大きくなるため、内発的動機の探索と再活性化が重要となります。

失敗を回避するための「働く意味」の科学的再定義プロセス

これらの失敗構造を理解した上で、「働く意味」を科学的に再定義するためには、分析的かつ実践的なアプローチが必要です。

1. 自己分析のアップデート:内発的動機の科学的探求

単なる過去の棚卸しに留まらず、現在の自身の内発的動機を深く探求します。 * 価値観の再確認: 仕事を通じて最も大切にしたい価値観(成長、貢献、安定、挑戦、創造性など)を明確にします。過去だけでなく、現在の自分が何に価値を見出すのかを客観的にリストアップし、優先順位をつけます。 * 興味関心の棚卸し: 純粋に「面白い」「もっと知りたい」と感じる領域や活動を特定します。これは仕事に直結していなくても構いません。どのような活動に没頭できるのか、時間を忘れて取り組めることは何かを内省します。 * 過去の経験の「意味」の分析: 過去の成功・失敗体験を単なる出来事として捉えるのではなく、その経験を通じて何を学び、何に喜びや困難を感じたのか、自己の成長にどう繋がったのか、といった「意味」を構造的に分析します。特に、外部からの評価とは無関係に、自己の内面で強く印象に残っている経験に焦点を当てます。

2. 外部環境との接続:市場や社会ニーズの分析と自己の価値の客観的評価

自身の内面だけでなく、外部環境を客観的に分析し、自己の価値や興味関心が社会とどのように接続し得るかを考察します。 * 市場ニーズの分析: 自身のスキルや経験が、現在の市場でどのように評価されているか、どのようなニーズがあるかを調査します。過去の評価ではなく、客観的なデータ(求人情報、業界レポート、専門家の見解など)に基づいて評価します。 * 社会課題への関心: 自身の興味関心や価値観が、どのような社会課題の解決に貢献し得るかを考えます。ビジネスの文脈だけでなく、より広範な視点から自身の役割や貢献の可能性を探ります。 * 他者からのフィードバック収集: 信頼できる同僚や友人、メンターなどから、自己の強みや改善点、他者から見てどのように貢献しているか、といった客観的なフィードバックを収集します。自己認識のズレを修正する重要なステップです。

3. 「働く意味」の構成要素の特定と統合

自己分析と外部環境分析の結果を踏まえ、自身にとっての「働く意味」を構成する要素を特定し、統合します。 * 「働く意味」を構成する要素の特定: 個人の価値観、内発的動機、提供できる価値(スキル、経験)、社会への貢献といった要素を組み合わせ、自身にとって最も腹落ちする「働く意味」を言語化します。これは単一の目的ではなく、複数の要素から成り立ちうる複合的なものであることを理解します。例えば、「自身の専門性を通じて、変化に悩む同世代のキャリア再構築を支援し、社会全体の労働市場の活性化に貢献すること」のように、より具体的な表現を目指します。 * 内発的動機と外発的動機のバランス調整: 再定義した「働く意味」が、自身の内発的動機に基づいているか、また、現実的な外部環境(収入、役割など)とのバランスが取れているかを確認します。理想論に終わらず、実現可能性の高い「働く意味」を設定することが重要です。

4. 小さな行動による実践と検証

再定義した「働く意味」は仮説であり、実践を通じて検証・修正が必要です。 * 実験的な行動: 再定義した「働く意味」に関連する小さな行動(関連書籍を読む、セミナーに参加する、プロボノ活動を行う、社内プロジェクトに手を挙げるなど)を開始します。 * 振り返りと修正: 行動を通じて何を感じたのか、当初の想定とどう違うのかを定期的に振り返り、「働く意味」の定義を継続的に修正・洗練させていきます。このプロセスは一回で終わるものではなく、キャリアの変化に応じて継続的に行う必要があります。

まとめ

経験豊富なビジネスパーソンが「働く意味」を見失い、その再定義に失敗することは、過去の成功体験への固執、役割の変化への不適応、内発的動機の減衰、そして社会変化への遅れといった構造的要因に起因します。これらの根底には、自己認識のズレや損失回避といった認知バイアスが働いています。

この失敗構造を回避し、持続可能なキャリアを構築するためには、過去の成功や外部評価に囚われず、自身の内発的動機や価値観を科学的に探求し、変化する外部環境と客観的に接続することが不可欠です。「働く意味」の再定義は、自己の内面と外部の現実を統合するプロセスであり、実践と検証を通じて継続的に洗練させていくべきものです。

自身のキャリアの羅針盤となる「働く意味」を明確にすることは、単に日々の業務に活力を与えるだけでなく、不確実性の高い時代において、自身の市場価値を高め、後悔のないキャリア選択を行うための確固たる基盤となります。本稿が、キャリアの岐路に立つ皆様にとって、「働く意味」を見つめ直し、次なる一歩を踏み出すための一助となれば幸いです。